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椅子の足に繋がれた猫と餌の入ったボール
第18王朝期(1450 BC)の墓の壁画
Ashmolean Museum
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野生猫は、エジプト人によって忍耐強く飼いならされ、最終的に新しい猫、いわゆる飼い猫、となっていった。彼らは、えさを与えられ、主人の庇護のもとに上手に住みつき、飼い主と非常に親しい存在として新しい生活を受け入れて行った。その結果、飼い主の敵であるネズミが、彼ら自身の敵にもなったのである。また、蛇や他の動物による疫病を駆逐するためにも彼らは役にたつことができた。BC 2100年頃までには、飼い猫は、釣り、狩り、ネズミ捕りとして広く用いられた。
第10王朝以後、飼い猫は、エジプト美術に頻繁に登場するようになる。猫が小さな船に乗っていたり、ハンターのそばに座ってブーメランの行方を見ていたり、あるいはアヒルや他の水鳥が飛び立つのを見ていたりりする。BC1500年頃のフレスコ画には、猫が小鳥を捕まえたり、魚をすくいあげているところが描かれている。第19王朝(BC 1318 〜1237年頃)のパピルスに描かれているのは、亡くなった女性の神への捧げ者として、3匹の動物がテーブルに乗っており、それらは、犬、ヘビ、そして猫であった。
第20王朝(BC 1237〜1070年頃)時、無政府状態のもとで猫は今や、人々の親愛の象徴であった。猫をMyeo* と呼び、生活の一部となっていた。
第22王朝(BC 1070〜750年頃)になると、エジプトは平和と繁栄の時代であった。飼い猫は、それまでと同様に大切にされ、身分に関係なく多くの人々に愛された。そして、かつてはライオンが持っていた役割、例えば寺の守りなどの存在となり、神聖な神へとなっていくのであった。さらに猫の頭部を持つ人間の形をしたバステット神(Bastet)ができ、それは母性の象徴であった。

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アラブ
アラブでは、AD6世紀から猫を飼っていた。言い伝えによるとマホメッドのかわいがっていたMuezzaは、彼の袖の上で寝ていた。寝ている最中に起きなければならないときは、猫の目を覚まさないように袖を切って猫を寝かせておいた。以来、ムスリム* は、犬ではなく、猫をかわいがった。

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古代ギリシャ
ギリシャ人は、イタチ、テンなど小動物がネズミを捕ることを頼りにしており、それらの小動物をgale* と呼んだが、これは、後のcatの意味であろうと考えられている。これらの小動物を飼いならすのは、難しいことではなく、また、ネズミの穴に簡単に入っていけるくらいの小ささであった。しかしながら、それらはネズミを捕るだけでなく、ハトやニワトリやヤギも食べてしまうくらいどう猛な殺し屋であったので、ギリシャ人達は、エジプトに飼い猫を盗みに行った。ヨーロッパでは、飼い猫を飼いはじめるのは、全般に遅かったが、ヘロドトスによると、ギリシャが最初に、エジプトの飼い猫を輸入した。しかし、その後の飼い猫についての正確な記録が残っていないので、いつ飼い猫がギリシャ人になついたかは、定かでない。芸術作品や文学から飼い猫が存在したことは確かである。Cat(kattos)の言葉は、紀元前5世紀のHerodotus* とAristophanes* に出てくるが、さらに紀元前4世紀の動物史であるCallimachus* では、ネズミ達が恐れるcatとして登場する。飼い猫達がどこからやって来ようが、また、数は少なかったかもしれないが、アレクダンダー大王がBC332年にギリシャを征服するまでの長い間、古代ギリシャに飼い猫が存在したのは確かである。

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古代ローマ
ローマ人達は、ローマ至上主義のもとに動物には、興味を示さなかった。エジプトからギリシャには定期的に人々が訪れていたはずなのに、ポンペイの遺跡でも猫の骨は一本も見つからない。しかし、モザイクや絵にはアレクサンドリアン系の猫が描かれている。家には、様々の動物が飼われていたようであるが、猫はいなかったようである。ローマ帝国の終わりのころ、Etruria* からはじめて飼い猫がやって来たが、これは非常にまれな例である。ローマ人は、あまりにも飼い猫に対する愛情がなかったので、ローマの兵や指導者達は、エジプト人が猫を可愛がる気持ちを全く理解することができなかった。一度、エジプトがシーザーに支配された時、ひとりのローマ兵がアレクサンドリアの町で暴行されて殺された。人々は、彼が一匹の猫を偶然殺したことを非難し、リンチにかけたのである。それに対してローマ人は報復しようとしたが、エジプト人達は立ち上がり、ローマに対するレジスタンスがおこった。このレジスタンスは、アントニーとクレオパトラが死ぬまで続き、その後エジプトは敗れて、ローマの一部となり、猫崇拝は排斥された。

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ゴールGaul <ガリア【Galliaラテン】>
4世紀ころ、確かに飼い猫は存在したが、ガウル人達は興味を示さなかった。しかし、5世紀になってcatusの名がラテンの法律に登場し、このころになるとライン川の河口付近に飼い猫は存在していた。

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スコットランド
ヨーロッパの北西部に、飼い猫があらわれるのには、ロマンテイックな歴史がある。ギリシャの将軍ガルステロスは、ファラオの軍隊を率いて戦ったが、紅海の海水分割の奇跡* で敗れ、地中海から遠く逃げて行き、現在のポルトガル付近に落ち延びた。そこで、Brigantium帝国をおこした。彼には妻とエジプトファラオの娘Scotaが従ったが、このScotaは猫を連れていた。何世紀も経って、彼の子孫は、さらに北方の王国の支配者となり、祖先の美しきScotaにちなんで その王国をScotlandと名付けた。Scotaがエジプトから連れてきたマスコット猫のはるかな子孫が、現在のBritainに行き着いたのである。

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インドと東方
キリスト死後、何世紀も経って、アジアの国々は飼い猫を輸入し始めた。インドは最初に宗教に猫を登場させた国であるが、それがいつ頃のことであるかは、正確に分かっていない。しかし、パキスタンのペシャワール(Peshawar) 美術館* には、猫の頭があり、猫が存在したことは疑いのないことである。また、Manu* の法律には、猫を殺したものは、重い罰を受けることが記されている。さらに長い時を経て、猫は日本に紹介された。おそらく、仏教伝来時のAD6世紀頃であろう。仏教寺院は、教典をネズミから守るために、ひとつの寺で最低2匹の猫を飼っていた。しかしながら、言い伝えによると、公には999年に 一条天皇(AD986-1011)* のころ、京都の天皇御所に中国から白い猫が輸入されたことが記されている。その猫は5匹の白い子猫を産み、感激した天皇は、幼い王子のようにかわいがった。さらに何世紀も経って、猫はたくさんの子猫を産み増えていった。
日本は、シルクを作っている国であるが、ネズミは蚕が大好きである。そこで、シルクをネズミからまもるために、どうしても猫が必要であった。しかし、日本人は非常に猫をかわいがっていたので、ネズミを退治に猫を使うにあたって、日本人のとった行動は微妙なものであった。すなわち、日本人は、ブロンズ製、木製、陶製の猫を家の入り口に置いた。ネズミはそれらの置き物を無視して、蚕を脅かして行った。そして、年々ネズミの猛威はひどくなっていった。13世紀ころまでには、猫は神聖な生き物から用をなさない、冷酷な、利己的な悪魔のような存在になって行った。14世紀になると、これらの青い目のペットは、ネズミを捕る責任を果たすことを求められたが、あまり期待されていなかった。1602年に政府はついに屈服し、法を作った。すなわち、すべてのおとなの猫は自由となり、売買禁止が定められた。日本では、猫は高貴な存在から一般の人々の友達になり、何世紀にもわたって芸術の対象であった。しかし、生来の運命であるネズミを捕ることは見られなくなって行った。

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アメリカ
ペルーのArchaeological Museum* によると、猫は、インカより前の先住民であるMochicas* の神聖な神であった。考古学者が発見した陶磁器の絵にも、戦士や音楽家や魔術師などを従えている猫の頭部が描かれている。しかし、これらの猫はwildであったろう。アメリカにおける最初の飼い猫は、Huron Indianの話の中に出てくるフランス人宣教師によりもたらされた。彼は、友好のしるしに大きくて立派な一対のフランス猫を差し出した。Indianは、かつていたwildで有害な猫と何らか違いがあることを想像もしないで、これらの飼い猫を受け取った。しかしこれらの飼い猫は、まもなく死に絶えてしまった。なぜなら、そこには野を駆け回ったり、穀物を荒らす動物達を捕る猫がすでに非常にたくさん生息していたからである。その後、1749年になって、黒ネズミによる疫病を駆逐するために、Pennsylvaniaのような飼い猫が輸入された。

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