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粟国観音の由来

昔、こちらからですね、与那城筑登親雲上(よ な しろちくどぅんぺーちん)という方が首里に御奉公に行って、後継ぎがいなくなったもんだから、私の家の先祖にあたる山内家の親はですね、姓は末吉で、屋号はヒャークヤーというところから養子を迎えたんですね。この養子になった人が八才のとき、あの山内家では牛を飼っておったから朝になると牛を東海岸のウーグの方に連れて行って、そこの穴の空いた石に牛を繋いでおいたそうです。それで、朝繋いで夕方になるとこの養子が牛を連れて帰る役目だったらしいですね。ある日の夕方、この養子がウーグに牛を連れに行ったらあの向こうの石の上に片足の無い猫がきょとんと座っているみたいですね。この猫がジーッと養子をにらんでいるもんだから、「この牛の縄を解きに行ったらこの猫にやられるし、また牛を連れて帰らなかったら親に叱られるし、これはどうしたらいいかね。」と迷ったらしいですね。だけど、この人は鎌を持っているもんだから無我夢中で牛を繋いでいた綱を切って牛を逃がしてから自分も走って逃げたらしいですねえ。それで、その道の途中で、姓は末吉で屋号はウフガリメンヤーという人の畑のところまで来たとき、後ろを振り向いたら、やっぱりこの猫は着いて来るもんだから、なおも夢中になって逃げたそうです。昔は村の入り口のところにヒンジャ屋のブリーというて、丘じゃなくって、石か何かを積み上げたような森みたいなもんがあったらしいですね。そこまで来て振り向いたら、もうこの猫はいなかったらしいですね。  それから、この人は痩せて病弱になってですね、そこの親が、「これではだめだから、那覇に行ってお医者さんに行こう。」と那覇に連れて行ったらしいですね。ちょうど昔は、帆船ですから、その帆船に乗って行ったと言うんですね。それで、那覇に着いて今の垣花の両方が田んぼ道になっている一本道を通って行ったら、向こうから肥やし桶を担いだお爺さんが来て、そこで出会ったそうです。そしたら、その爺さんが、「ハイ、あなたがたはどこから来たか、どこに行くか。」という挨拶をしたので、この子のお父さんが、「私たちは、粟国から来たもんですけど、この子がこんなに痩せ衰えたから、お医者さんに診てもらいに来ました。」って言うたら、このお爺さんはですねぇ、その子の顔をジロジロ見て、「うん、これは病気ではないな。医者にかからなくてもいいよ。早く島へ帰って方角を当てて、そこに御願所を仕立てたらすぐ良くなるから帰りなさい。」って言われて、お父さんは、「そうですか。」って、その日はお爺さんの家をどこそこと聞いて宿に帰ったそうです。その次の日には、朝早く、「もう一ぺんお爺さんに会って、良く聞いてから帰らんといかんからお爺さんの家に行こうね。」というふうなことで、その爺さんのところに行ったらしいですね。ちょうど、夜の明けない暗いうちだから、このお爺さんは、起きてキセルを持って煙草盆ポンポン叩く音が聞こえたらしいですね。それで、その家に入って行って、あいさつをして、「昨日、道でお会いした粟国の者ですが、本当に粟国に帰っていいですかね。お医者さんに行かなくていいですかね。」というふうに言うたら、「うん、医者にはかからなくてもいい。ちゃんと拝所を仕立てたらこの子は元気になるよ。」って言うから、くわしく話を聞いたんです。それで、この親と子が粟国に帰って来て、港から上がって来たところが今の粟国観音になります。そこの一帯は、昔はアダンやユーナ木とかの山だったみたいです。それで、拝所を立てる方角を聞いて来たからそこに上がって見て、「こちらへんが拝所を立てる場所かなあ。」と言って、ちょっとその場を見て置いて、「やはり、こっちが自分たちの拝むところだなあ。」と言って、そこで手を合わして、家に帰って来たそうです。翌日は鎌とかそういう道具を持って行ってアダンとかの木を切ってそこの場所を広げて、それからアダンの葉でこう家の形の拝所を作って手を合わせて帰ったら、それからこの子どもは、元どおりの元気な若者になって頑丈な人になったと言いますよ。これが粟国観音の由来記ですよ。  これは、戦前の話だけど、伊良皆喜順のナカータンメーが村長の時代だったらしい。観音の御願所が壊れたのか、造り替えがあったみたい。観音の向こうには、私の家の畑があるんですよ。そのとき、姑になるうちのお祖母さんがですね、芋を入れて頭に乗せて運ぶターラを持って、その畑に芋を掘りに行こうとしたら、そこの造り替えをしている人夫の人たちがですね、「十時のおやつを出してくれ。」とお祖母さんに言ったらしい。そしたらうちのお祖母さんは、「あんたらは、自分たちで仕事しなさるのに、あんたらで食べなさいよ。」って、口返しして畑に行ったらですね、畑に着いてすぐにもうお腹が痛くなって、どうにもしようがなくなったそうですよ。それで、そこから裏に行ったら、こっちの家には新里ウフンマーと言うて、山内家から向こうに嫁に行ったお婆さんがいてね、その新里の伯母さんという人に、「私は、こうこうで人夫の人にこんなこと言ったら、もうお腹が痛くなって、仕事が出来なくて帰って来ましたよ。」ってこの伯母さんに報告したら、この伯母さんが、「お前は、変なことを言ってしまってるさあ。」と言ったそうです。近くに拝みするウシャーというお婆がいたみたいですね。この新里の伯母さんはこの人のところに連れて行って、山内の名前言うて、「この子がお腹が痛いって言うてますが。」って言って、わけを話したら、「もうこの童(わらばー)、観音様の前で口返しして来ておるさ。そんなら私が今言いわけして来るさ。さあそんならあんたは家に帰りなさい。家に戻るまでには治るさあ。」って言って、この御願サーのお婆さんは新里のお婆さんと一緒に観音に行ってですね、「こんなして言ったのは悪うごさいました。」って拝んだらしいね。そしたらお腹が痛かったのが治ったらしい。そういうこともあるからね、お婆さんは、「観音の何か仕事とかそういう場合には、口返しをしたらいけないよ。」孫たちに言い聞かしていました。それで、今では村中で拝んでいるんです。  戦前まではちっぽけな拝所だったから、終戦後、今度は安里盛松、屋号トゥマンヤーという人が区長時代に、コンクリートでですね、造り直したんです。こうして一ぺんは建て直したんですが、古くなって危ないからと言うことで、今年造り直しています。私は、この話を自分の姑から聞きました。その姑の方は、その上の代の方からこの話が代々言い伝えられていると言いますよ。このお婆さんが、「こういういわれがあるから山内の家としては、一日、十五日の観音の拝みは遅れてはいけないよ。」と言っています。私がお嫁に来るまではこの人が拝んでいた。それからも、八十四、五才まで拝んでいたが、その年になってこのお婆さんが、「私もいつまでも若くはないから早く自分で拝みなさい。」と言われました。それで、お婆さんから習いながら、子や孫のために拝むようになったんです。これは、家族の健康祈願ですよ。戦争前の祈願のときのお供え物はお盆に米、線香、酒、タンナークルーというお菓子を供えましたよ。ここを祈願するときにはこんな言葉でお願いするんです。 辰年(たてぃどぅし)ぬ新年(にんとぅし)ぬ正月一日(そーぐわちちいたちが)加那志(が な しー)でーびる。十二本(じゅうにふん)ぬ線香(せんこう)うさぎてぃ、御願(うに)げーすしぇー浜(はま)、山内大屋(やもーちうふやー)百四十五番地ぬ山内大屋。御観音(うんかんぬん)ぬ御元祖(うがんそー)御仕立(うした)てぃそーみしぇーくとぅ、御仕立(うしたた)てぃくぃみそーちゃる子孫(くわっんまが)。卯(うー)ぬそーぬ、結(むす)び午(うま)ぬ成仕立(なした)てぃぬ長男午(ちょうなんうま)でぃーでぇびる。結(むす)び辰(たち)でぃでーびる産(な)しりぎんそーちゃる戌(いん)ぬ女(ひなぐ)グヮー、長男(ちょうなん)子(にー)でぃ、次女(じじょ)卯(うー)、次男(じなん)巳(みー)ぬ身体(からだ)御願(うに)げーでぇびる。健康(けんこう)にしみらちうたびみそーち、学校(がっこう)ぬ行(い)ち戻(むど)いぬ交通(こうつう)、車(くるま)ぬ交通(こうつう)安全(あんぜん)、商売繁盛(しょうばいはんじょう)しみらちうたびみそーり。商売繁盛(しょうばいはんじょう)しみらちうたびみそーり。 〔共通語訳〕 辰年の新年の正月のついたち加那志でございます。十二本の線香を供えて、お願い致しますのは浜、山内大屋百四五番地の山内大屋。観音の元祖を御仕立てくださり、御仕立てになられた子孫です。その相の結び午(うま)の成し立てた家の長男午(うま)でございます。その長男の妻の辰(たつ)でございます。その二人から産まれました戌(いぬ)の女、長男は子(ね)で、次女は卯(う)、次男は巳(み)の健康のお願いでございます。健康にさせていただきまして、学校の行き帰りの交通、車の交通安全、商売繁盛させてくださいますように。 と言って拝みます。また次男、三男は、那覇にいますから、住所と番地職業とを言って、「どこどこにいますから、交通安全さして願っていることも叶わせてください。思っているだけは叶わせてください。」と言って拝んでいるんです。素人ですからね、自分の信じていることだけをお願いしているんです。家にはこういう由来があるから、観音の置いてある台は大理石にしたらと言う人もあって、その人が家の長男に、「あんたが、大理石を奉納しなさい。」と言ったもんだから、長男もまたお婆さんから昔の話は聞いていて、「はい、やりましょう。」と受けたらしいねえ。そしたら、また二、三日後にあの観音に飾ってある御香炉ですね、これは今までのものは昔から御先祖様の御香炉と同じああいう色だったんですよ。それをいろんな人から、「このさい観音の拝所も直すのに、御香炉も換えないか。あっちは神様なのにどうして御先祖様と一緒の御香炉なのか。」と言われたんです。それで、御香炉と台の大理石は山内家が奉納することにしたんです。

備考:
1.粟国観音の由来‥‥浜にある粟国港の近くにある観音の由来。
2.与那城筑登親雲上‥‥与那城は姓、筑登親雲上は、島の役人などに与えられる士族の位。
3.首里に御奉公‥‥首里王府に役人として勤めること。
4.ヒャークヤー‥‥百屋。長寿の人がいると、その長寿にちなんでこうした屋号になる。
5.養子‥‥沖縄ではほとんど同じ一門から養子をもらう。
6.牛を飼って‥‥粟国島は牛、豚などを家畜として飼うことが多かった。
7.ウーグ‥‥東海岸の地名。
8.ウフガリメンヤー‥‥浜にある家の屋号。
9.ヒンジャ屋‥‥浜の屋号。
10.ブリー‥‥畑の石やごみを小さな丘のように積んだもの。
11.帆船‥‥帆かけ船。
12.垣花‥‥那覇港の南にある村。現在の那覇市小禄の垣花。
13.御願所‥‥願いごとを祈願するところ。
14.拝所‥‥御願所に同じ。
15.港‥‥現在の粟国港。

16より21まで文字化けで不明

22.拝みする‥‥病気などを治癒させる呪いをするお婆さん。
23.ウシャー‥‥人名。
24.一日、十五日‥‥毎月旧の一日と十五日に拝みに行くこと。
25.タンナークルー‥‥黒みがかった茶色の饅頭の形をしたお菓子。
民話タイトル: 粟国観音の由来 カテゴリー: 神話と伝説
収録地: 粟国村浜 聴取年月日: 1988・昭和63年3月24日
話者: 女性 話者生年月日: 大正7年
出版情報
本タイトル: 粟国島の民話
出版年: 1992・平成4年3月31日


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